バテンレースって何?
バテンレースって、どんなもの?
「バテンレースって何?」
と、いきなり聞かれると、戸惑う人が多いと思います。でも、写真を見ると、見たことがあるっていう人もいるのではないかと思うのです。
少し前、バテンレースを洋服のデザインに取り入れるのが流行りました。
簡単なモチーフなんかは、100円ショップでも売られていたりして、服やハンドメイドに興味がある人なら、きっと、思い出してくださるはずです。例えば、こんな感じの・・・、
思い出していただけましたか?
これを見れば、大体わかりますよね。
だ、ということが….。
バテンレースの歴史
「歴史」と書きましたが、研究しているわけでもないですし、それほど興味があるわけでもないので、テキストに載っていることやひつじのまーこの所見を書いておこうと思います。
始まり
紀元前1500年頃のエジプトにはレースらしきものがあったと言われています。
その頃のレースは、網状のものや、刺繍のものだったらしいのですが、バテンレースは、このうちの刺繍レースが発展したものだとひつじのまーこは考えています。
正確には、刺繍レースがニードルポイントレースになり、それをより簡便にできるように発展したのがバテンレースなのではないかなぁと、考えています。
流行期(1)
ルネッサンス時代にヨーロッパで盛んに作られていたようです。

ルーマニアンマクラメーぶどう
その頃は、バテンテープなるものはなかったので、0.4~0.5cmのブレードやコードを使って、作られていました。
今、ルーマニアンマクラメとして親しまれているレースが比較的その頃のレースに近いかもしれません。
バテンテープを使っていないので、正確にはバテンレースの流行期とは言えないのですが、前バテンレースの流行期として、挙げておきます。
流行期(2)
19世紀に入って、産業革命により機械でレースが作れるようになりました。といっても、現代ほど複雑なものではなく、単純な織りのブレードやコードでしたが・・・・。
でも、その頃の人々にとっては、まさに革命です。これらのブレードやコードを使ってより手軽にレースを作れるようになったのです。
その頃、生まれたレースは、ブレードの種類や使用するかがりの種類によって様々な呼び方がされたようですが、その一つがバテンレースです。
手軽にできるので、それまで専門職の人が作るのが当たり前だったレースの世界に、ハンドメイド愛好家が登場し、親しまれるようになったと言われています。
日本での流行
日本にバテンレースが入ってきたのは、明治時代になってからです。
はじめは、横浜に入ってきたのですが、工賃がよかったこともあり、間もなく国内各地に普及していったようです。主に長野、福井、浜松、新潟などで、欧米各国に輸出していました。
特に、新潟県では第一次世界大戦や関東大震災、第二次世界大戦などにより他の生産地が消滅していく中で、100年にわたって作られ続けてきたといいます。
今でも、バテンレースについて興味のある人は、「バテンレースなら新潟県」と思っているのではないでしょうか。
あとがき
バテンレースの歴史について、ひつじのまーこの思い込みと聞きかじりの知識だけで書いてしまいました。間違ったことを書いてしまっていないか、とても不安ですが…。
きっと、心ある方は、おバカな”ひつじのたわ言”と聞き流してくれるだろうし、そうでない方がいたとしても、「作ることには興味があるけど歴史にはね」という方がほとんどだろうから、たぶん大丈夫ですよね。多分….、